4/16/2014

Echos d'Echos by Daniel Buren


Echos d'Echos: Vues Plongeantes, Travail In Situ by Daniel Buren, at Centre Pompidou Metz

Centre Pompidou Metz by Shigeru Ban



4/14/2014

ヨーゼフ・ボイスのクリミア Crimea for Joseph Beuys

Pompidou Centre, Paris (March 2014)

Pompidou Centre, Paris (March 2014)

Pompidou Centre, Metz (March 2014)

Tate Modern, London (March 2014)

 20世紀を代表するアーティストの一人であるヨーゼフ・ボイス(1921-1986)にとって、芸術とは社会を造っていくことだった。「社会彫刻」という概念を提唱したボイスが、パフォーマンス・アートやインスタレーションを通じて造形したのは、美術館に収まる「芸術作品」ではなく、「社会」そのものだったのである。このような彼のスタイルには賛否両論あるが、ボイスは政治活動と芸術活動を区別しなかった。芸術を、ほかのあらゆる領域に拡げていくこと自体がボイスにとっての芸術活動だったとも言える。政治活動にも密接に関わっており、ドイツの政党「緑の党」の結党にも関与している。

 若き日のボイスは、ヒットラー・ユーゲント(ナチス党の青年組織)にも参加していた。1921年生まれのかれの世代にとって、そして、非ユダヤ人の若者にとって、それは自然なことだったのかもしれない。ボイスが15歳の頃のことだ。ちなみにナチスの武装親衛隊に参加していたと告白して激しい非難を浴びたノーベル賞作家ギュンター・グラスは1927年生まれだ。

 ボイスは、フェルト、脂肪、蜜蝋、コヨーテといったものを作品に取り入れた。特にグレーのフェルトはボイスの作品のシグネチャーとなる素材だ。フェルトを積み重ねたり、ピアノをフェルトで包んだりするインスタレーションを製作している。そのフェルトを見れば、一目でボイスの作品だと分かる。なぜ、フェルトがボイスの作品で重要な位置を占めているのか。これについて、ボイスの口からひとつのエピソードが語られている。そして、そこに、2014年のいま、世界的な注目を浴びている地名が登場することを見逃せない。

 ボイスは19歳のときにドイツ空軍に志願し、第二次世界大戦を闘った。当然ながら、ナチス・ドイツの軍隊だ。1944年、クリミア上空を飛行中だったボイスはソ連軍に撃墜される。それでもボイスは奇跡的に助かった。不時着し怪我を負ったナチス・ドイツの一兵士を救った人々がいたのだ。それは、クリミアに住むタタール人だった。今日、クリミア・タタール人と呼ばれる民族である。このタタール人たちは、ボイスの身体に脂肪を塗り、フェルトで包み込んで暖めた。この手厚い看護によって、ボイスは奇跡的に戦争を生き延びることになったのである。

 ボイスの作品に現れるフェルトは、このクリミアのエピソード、つまりそれはかれの生死に関わるエピソードに直接的に結びついている。 

 現在はクリミアで人口の10%程度を占めるクリミア・タタール人は、13世紀からクリミアの地に住んでいる。露土戦争の末にクリミアがロシア帝国に引き渡された際に、マイノリティとなる運命を辿った。第二次世界大戦中はソ連軍に兵士として参加させられたにもかかわらず、後にスターリンによって対独協力の疑いをかけられ、クリミア半島からソ連内の各地へと追放された民族である。

 2014年春、クリミアという地が注目を集めることとなった。クリミア共和国では、3月16日に住民投票が行われ、ウクライナから独立し、ロシアに編入された。ロシア編入に賛成する97%の住民の一部にクリミア・タタール人が含まれているにせよ、かれらについてとりたてて語られることはほとんどなかった。事実上の「マイノリティ」だ。

 ナチスの一兵士だった若き日のヨーゼフ・ボイスを救ったのがクリミア・タタール人だったということは不思議な印象を与える。当時のソ連とドイツの関係、ソ連のなかでクリミア・タタール人が置かれた位置とはどのようなものだったのだろうか。当然、ヨーゼフ・ボイスがクリミア・タタール人によって救われたというエピソードの真偽のほどは分からない。ボイスの芸術家としての作り話かもしれない。しかし、ボイスにとって、第二次世界大戦中の出来事が後の芸術活動に大きな影響を与え続けたことは確かである。これが作り話であるとしても、ボイスがクリミア・タタール人を名指ししたことは非常に興味深い。

 2014年2月に発足したウクライナ新政権の一翼を担っているのは、人種差別を政策とすらしているネオ・ナチの組織スボヴォダ党である。そしてまた、その新政権発足の前段階で、キエフを武力闘争に引きずり込んだのも、スボヴォダ党を含む右派グループだった。キエフ政府とその周辺ではネオ・ナチが幅を利かせている。そうした流れが、クリミアをロシアへと近づけていった。ボイスのエピソードに登場するナチスとクリミアというキーワードは、そのまま今日のウクライナに当てはまっていくのだ。今度はナチスの一兵士がクリミアに不時着したとき、誰が救うのだろう・・・

 ボイスは美術教育においても熱心な指導者であり続け、かれの後の世代の重要なアーティストたちを育てている。現在世界のアートを牽引しているゲオルグ・バゼリッツ、アンゼルム・キーファー、ゲルハルト・リヒターなどがボイスから学んだ。かれらの作品にナチス・ドイツの後遺症やドイツの分断が色濃く現れるのはドイツ人アーティストとして必然の成り行きだろうか。