9/12/2007

52 Biennale - Japan - 'Is There a Future for Our Past? ; The Dark Face of the Light' , Masao Okabe

各国パビリオンの中で一番印象に残った。(一緒に行った人はそうでもなかったらしい。「これじゃ伝わんねーよ」とのこと。)
中央には2004年に解体された宇品駅のプラットフォームの石が展示されていて、まわりの壁一面にその石をフロッタージュした作品が展示されている。
フロッタージュには「The dark face of the light」「20/8/1894, 6/8/1945, 18/5/2004」「Disappearence(form for testimony), Hiroshima as a military city, HIROSHIMA as a bombed city vanished」と書かれている。
宇品駅というのは日清戦争から第二次世界大戦まで軍用輸送基地であり、1894年というのは日清戦争の日付。1945年は原爆の日付。宇品駅の石は日清戦争から第二次世界大戦に至り、そして原爆に至る過程を記憶する。2004年は宇品駅解体の、つまり1894年と1945年の「証言」を消滅させた日付。広島とヒロシマの記憶とその記憶の消失についての記録の作品である。証言はだんだん間接的になっていくし、想起的なものでしかなくなっていく。「これじゃ伝わんねーよ」という意見ももっともで、私たちは結局こういうものを見ても「あ、何かしなければならなかった。でも何かって何だった?」程度になっていくのか?

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